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台日の絆、白井良一様の台湾への感謝の旅

2018-06-20

落石事故現場の写真、これは一年前の2017年9月のことでした。白井良一さんの息子さん、白井寛之さんは自転車のロードレースのため、台湾にやってきました。不幸なことに、大会前、台湾東部・花蓮県のタロコ国家公園で練習していた際、落石事故でなくなりました。

 

当時、花蓮慈済病院は白井寛之さんを一生懸命救おうとしましたが、一命を取り留めることができませんでした。白井良一さんを慰めるため、花蓮慈済医学センターの自転車部の発起の下、100人もの自転車愛好家は自発的に、息子さんの遺骨を手にする白井良一さんを花蓮慈済病院から花蓮駅まで見送りました。

 

白井良一さんが日本に帰国したのち、彼を助けたすべての台湾人にお礼状を送ったのと同時に、今年2月に花蓮で地震が発生した際も、義捐金を寄付しました。しかし、白井良一さんにとってずっと気になっていることがあります。それは事故現場で寛之さんを守ってくれた台湾人のことです。彼にも是非お礼をしたいからです。

 

白井良一さんの念願をかなえるための恩人探しの旅がこれで始まりました。

 

メディア関係者と花蓮の警察官の協力を得て写真の中の熱心な方が新竹に住んでいることが分りました。

 

黄柏憲さんは、「当時は台湾一周旅行をしていた。その日、一人でバイクに乗ってタロコから山を降りようとしていたとき、道に倒れた白井寛之さんを見た。本当にびっくり。緊張で頭が真っ白!九曲洞まで行ったら、彼を助けるべきだとふと気がついた。」と振り返りました。

 

今年25歳の黄柏憲さんは在学中の院生です。昨年の事故についてまだ記憶に新しいと言っています。かつて消防局で代替役に服したことのある黄さんは応急手当の基礎知識があるため、ただちに寛之さんに対して応急手当を施しました。

 

黄柏憲さんは:「まず意識があるかどうかを確認する。それから彼を固定してから気道を確保する。僕はずっとがんばれ、救急車がもうすぐ来るからと繰り返していた。」

 

しかし、人生は儚いもの。

 

黄柏憲さん:「その日の朝、友達からメッセージが来た。かつて友達に寛之さんのことを話したので、友達が寛之さんがなくなったニュースを送ってきた。それを見たとたん、涙が出た。本当に悲しかった。初めて人を助けようとしたが、一命を取り留めることができなかった。」

 

これで悲しいエンディングになると思ったら、寛之さんのお父さんが恩人探しのために台湾へ。

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黄柏憲さん:「警察官は当時、私の資料を残さなかった。警察官はカーナビを通じて私のナンバープレートを特定、そしてナンバープレートから私を割り出した。向こうはこちらは花蓮派出所といったとき、私はびっくりした。花蓮で何か悪いことでもしただろうかとばかり思っていた。」

 

自分が割り出されたときの驚きから白井良一さんの念願に対する理解まで

 

黄柏憲さん:「白井良一さんは台湾に対して何の恨みもない。台湾は怖いところとも思わない。かえって非常に前向きな態度でこの落石事故に向き合っている。これは台湾にとって大きな励みとなるだろう」

 

悲しい事故、エンディングは必ずしも悲しいとは限らない

 

黄柏憲さん:「日本人の礼儀正しさに見習うべきだ。寛之さんの遺骨を日本に持って帰った際の報道を見ると、とても感動した。お父さんの良一さんとの対面を楽しみにしている。」