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阮美姝さん |
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1947年2月27日、台北の盛り場円環で、闇タバコを売っていた女性が、専売局員と警官の取り締まり隊に逃げ遅れて捕まった。戦後の想像を絶するインフレと、汚職に一般庶民の生活は苦しく、政府はタバコやその他の生活必需品を専売制にしていたので、貧しい人は闇タバコでも売らなければその日の生活すら困難だった。この女性はタバコは勿論、売上金も取上げられ、返して欲しいととりすがると、銃で頭から血が流れるほどに殴られた。新政府に失望と怒りを感じていた人々はこれを見て憤慨し、抗議の声が上がった。群衆が膨れ上がってきたので警官たちが慌てて銃を乱射し、一人の若者が即死した。翌2月28日には収拾がつかなくなり、各地でも台湾の人々が次々と蜂起した。3月に入ると政府は鎮圧のために中国大陸から大軍を引き入れ、武器を持たない学生や一般の人々が大量に射殺され、死体が山や川や海岸に捨てられた。また台湾の人たちの有望な指導者、医者や弁護士、新聞社のリーダーなどの知識階級がターゲットにされ、闇から闇に葬られた。
阮美姝さんの父親、阮朝日さんもその一人で、当時新聞社「新生報」の総経理をしておられた。3月12日に中山服を着た五人の男に連れ去られて、そのまま帰っては来なかった。幸福な家庭の一家は、この日から悲しみと苦しみのどん底に突き落とされ、半狂乱で父親の行方を探し回ったが、阮朝日さんは行方不明のまま帰らなかった。その後の長い戒厳時代を、阮美姝さんは優しかった父親のことを一日たりとも忘れたことはなかったが、公の場で語ることも出来ず、ましてや真相を知るべくもなかった。
真相を知ったのは日本へ行ったときに、王育徳氏の書物の中に二二八事件の事、父親の阮朝日が「反乱者」として捕えられ処刑されたというショッキングな事が書かれていたのを読んでからである。それからの阮美姝さんは密かに父親の事件の真相を究明しはじめた。1992年には父親のことを書いた『孤寂煎熬四十五年』と、二二八事件で闇に葬り去られた人々の家族を尋ねて聞いたことを『幽暗角落的泣聲』に表して出版した。その後もDVDの製作、父親の故郷屏東県林辺郷竹林村中興路6−2号に「阮朝日二二八紀念館」を成立させ、今年5月には、日本で著書が出版される予定だ。
「私はもう78歳です。疲れました。今迄何度も、これで区切りにしようと思ってきましたが、その度に父の声がするんです。『美姝、お父さんのために頑張ってくれ!』と。」と、阮さんはおっしゃる。時代の悲劇に翻弄されながら、強く闘ってこられたのも、敬愛する父親の死の真相を明るみに出して世に問い、父親の霊を慰めたいという一心からであった。
阮美姝さんの話をオン・デマンド放送でお聞きください。 (三宅教子)
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